トップ > 社会人の先輩日記 > 外国人による就職活動体験記 > jlu
何も知らない日本に急遽留学
私は小さい頃からアメリカのTVや映画を見て育ったので、高校を卒業したらアメリカの大学に進学したいと考えていました。ビザの申請で1年間待たなければいけない事になり、それならば姉の留学していた日本に行ってみようと、1年間のつもりで来たのがきっかけです。日本のことは、テレビのニュースでしか知らなかったので、日本のイメージは街全体がオフィス街で、紺色のスーツを着ているサラリーマンのイメージしかありませんでした。今から20年前の話です。
私の日本語勉強法
日本に来たもうひとつの理由は、日本語をマスターすることでした。当時の日本はバブル景気のさなかで、世界のリーダーとして、大変勢いがありました。将来は経営者になりたいと考えていたので、英語のほかに日本語も話せたら、ビジネスで役だつだろうと考え、日本に来てすぐに日本語学校に通いだしました。私の勉強法は、とにかく本をたくさん読んで、TVを見て、人と話して、日本人とたくさん付き合うことでした。日本人同士の会話を聞くのが一番ためになります。こんな状況ではこういうことを言うんだといった具合に。アメリカの映画を日本語の字幕つきで見て、英語での表現を日本語ではこう言うんだというような方法での勉強もしました。
超多忙な日本での学生生活
台湾と日本は同じ文化圏なので生活についての違和感はあまり感じませんでした。日本での生活は4.5畳、風呂なしトイレ共同のアパートから始まりました。台湾にいた時より生活水準が下がったのが一番のショックでした。当初は日本で勉強した後、アメリカに進学するつもりでしたが、私の思っていた以上に日本語が話せるようになり、当時の日本語学校の先生の勧めもあり、日本の大学に進学することにしました。大学生活は、勉強とアルバイトに明け暮れる日々。授業は常に一番前の席に座り、一番質問をしていた生徒だったと思います。アルバイトを通じて日本の社会に触れることもできました。生活費と授業料をアルバイトで稼ぎながら、奨学金をもらうために、良い成績をとる必要があったので、生活はいつもすごく忙しかったです。サークル活動のような学生の遊びをすることはできませんでしたが、バンドを組んだりして充実した生活をしていました。
| 1日のスケジュール | |
| 8:00 | メールチェック |
| 8:30 | 海外(アジアンパシフィック圏)のクライアントとテレフォンカンファレンス |
| 10:30 | 国内のクライアントとのやり取り |
| 13:00 | クライアント先訪問 コンサルテーションを行う |
| 15:00 | 海外(欧州圏)のクライアントとテレフォンカンファレンス |
| 16:00 | 海外(欧州圏)のクライアントとテレフォンカンファレンス |
| 17:00 | メールチェック、諸業務処理 |
| 20:00 | 業務終了 |
日本での就職活動
大学4年の頃、日本のバブル経済がはじけて、就職氷河期に突入しました。日本企業は中国籍の人材の採用はしていましたが、台湾出身の留学生には門は開かれていませんでした。何度か会社説明会に参加しましたが、その場で断られたりしたこともありました。日本で働きたい気持ちはありましたが、大学3年間で単位もほぼ取り終わっていたので台湾に戻って仕事をすることに決めました。台湾に戻ると、日本語が話せるということで仕事はすぐに見つかり、日本語と英語が使えることは大きな武器になりました。日本では説明会にすら参加できないような企業から誘いを受けたこともあります。再び日本に戻ってくることになったのは1年後。再び日本で働きたいという気持ちが強くなったからです。ちょうどその時、私は新聞の折り込みに入っていたアルバイト情報から仕事を見つけました。その仕事は外資系製薬会社の研究所で、英語を使ったアシスタントの仕事です。アルバイトですから、月給ではなく、時給の仕事です。3ヵ月後に正社員のオファーがあり、晴れて日本で正社員として働くことになりました。大学を卒業してから1年が経っていました。形にこだわらず、とにかく入り込むことが大事だと思います。この会社は大手なので、その後の転職活動でも有利に働きました。
現在の仕事
今は、医療関係のプロジェクトマネージメントの仕事をフリーランスでしています。アジアを中心とした海外とのプロジェクトの立ち上げ、及び管理を行う仕事です。
■みなさんへの一言
とにかくいろいろな経験を積むことが大事だと思います。色々な仕事を経験することで自分で物事を決めることができるようになります。日本には誘惑は沢山ありますが、自分が何をしたいのか見極めることが大事です。自分の将来のために努力をしましょう1990年に来日。日本の大学を卒業後、台湾に帰国。1996年再来日し日本で就職活動を行い、外資系製薬会社のアシスタントとなり、その後、研究所所長秘書となる。2002年〜2005年までアメリカの大学院で社会学を学び、2005年より医薬業界のCRAとしてキャリアを積む。現在は外資系製薬会社でアジア進出のプロジェクトマネージャーを務める。



