トップ > 社会人の先輩日記 > メジャーリーグ球団で働いています! > No.3 インターンからフルタイム(正社員)になるまで
こんにちは。
第3回の今回は私が、インターンからシカゴ・カブスでフルタイム(正社員)として働くようになるまでの経験を詳しくご紹介します。
月給1000ドル。球場のソファーで寝泊りもしたインターン生活
大学4年生だった私は、インターンとして、無事に6週間のスプリングトレーニングを終えて、シーズン開幕直前、2軍に配属されることが正式に決定しました。 自宅(ボストン)から車で2000キロ程を走り、開幕戦をコロラド・スプリングスで雪の中、迎えました。
誰も知らない新しい街での半年間の生活がスタート。部屋は家具付きの一部屋だけの小さなアパートでした。 月々の球団からの手当は1000ドル、家賃は700ドル。 遠征などであまりアパートにいる時間がなかったことを考慮に入れ、2年目からはお金節約のために1泊30ドルのホテル暮らし。球場のソファーで寝ていたことも多々ありました。
3年目は、2ベッドルームの家を3人でシェアし、私はリビングルームで暮らすことに。
“何でもやる”ことで信頼を得ることに。一塁ベースコーチも経験。
シーズン中の主な仕事内容は、選手のランニングとウエイト・リフティングの管理です。 選手のやりたいことと球団が望んでいることをうまく掛け合わせてトレーニングをさせます。時には、選手の言うことを聞き、その一方で選手が望まなくてもトレーニングさせるなど、駆け引きが重要です。
一日の平均的なスケジュールとしては、
9時~11時:地元のジムで選手とトレーニング
12時:ランチ
1時頃:球場入り。選手の個人練習の手伝いと、早く来ているピッチャーと一緒にランニング
4時:全体練習
といった感じでした。全体練習は、チームストレッチをした後、バッティング練習のピッチャー、ブルペン・キャッチャー、ノックと休む暇もなく、動き回ります。それと同時に、選手にランニングの指示を出し、時間に余裕があるときは一緒に走ります。 中には、自分と走るためにわざわざ待ってくれている選手もいました。 試合前の休み時間は、選手個人個人のその日のトレーニングを記録。 試合直前は、グランドでストレッチをしたり、キャッチボール相手。 いざ試合が始まると、なぜか1塁ベースコーチをしていました。
これは始めからやっていたわけではなかったのですが、いつの間にか自分の仕事のひとつになってました。それと同時にブルペンキャッチャーをし、試合の後半に出てくるピッチャーの準備をします。試合終了後は、選手のトレーニング相手をしたり、その日のまとめ、そしてマイナーリーグのコーディネーターにその日の報告をします。
マイナーリーグのチーム構成は監督、打撃コーチ、投手コーチ、アスレチック・トレーナー、そしてストレングス・インターン。そして、これに選手が約25名加わります。 自分の上司役となるのはアスレチック・トレーナーで、インターン制度が出来るまでは、選手の体調管理などのストレングスのことも全て彼らがやっていました。 野球界、特にマイナーリーグのアスレチック・トレーナーの仕事は、4割がトレーナーとしての仕事で、6割はそれ以外の雑用がほとんどです。
たとえば、遠征の準備をする時は、日程表を作り、遠征先のホテルの部屋割り、飛行機に乗るための準備、荷物の管理、遠征先での移動手段の確保をします。たまに遠征があるならいいのですが、1週間おきに遠征に出なければならないので、ゆっくりする暇もありません。
さらに、新しい選手が加わったときの契約手続きや移動手段の確保をするのも彼ら、トレーナーの仕事です。ちなみに2002年の選手の移動は140日間で計190回近くもありました。なので、ストレングスのインターンを雇うことで、トレーナーの仕事を少しでも楽にしようという考えがあったのだと思います。
私は、インターンとしてトリートメント用のタオルをたたんだり、アイスバッグを作ったりと、率先してアスレチックトレーナーの仕事を手伝うようにしていました。 そして3年目には、遠征の日程表作りは自分の仕事になっていました。
前回も書きましたが、学校で勉強したこと全てが実際の職場に通用するとは限りません。 実際の職場に出て、インターンとして、自分からどれだけ、そしてどこまでやっていくかによって自分の将来が決まるのです。私も、インターン中与えられた仕事だけしていたら、今こうしてストレングスコーチとして働くことは出来なかったと思います。
こうして、シーズンを通して、色々なことをさせてもらったおかげで、マイナーリーグの隅から隅まで見させてもらうことができました。 自分の仕事だけにこだわるのではなく、「何事も経験!」として何でも進んでやる、その精神が大切なんだと思います。
年収数万ドルのオファーを蹴ってまで妥協をしなかったインターン二年目
一年目のシーズン終了後、ロッキーズから来年も同じポジションで戻ってきてほしいと言われました。ただし、インターンなので、他の球団などでフルタイムの仕事が見つかれば受けてもかまわないという条件でした。そこで、私は、前回と同じように、30球団全てに履歴書と手紙を送りました。返事は来るもののフルタイムのポジションはなかなか空いておらず、唯一空きがあったのが現在所属している、シカゴ・カブスというチームです。
マイナーリーグのトップの方と電話で面接をし、その後メジャーのストレングスコーチ、リハビリコーディネーターと実際に会って、面接をしました。 しかしながら、この時はまだ経験不足ということで、仕事を得ることは出来ませんでした。
その他に、ある球団が日本人選手の通訳を探しているという話を耳にしました。 通訳兼ビデオ・コーディネーターというポジションでした。私は、ストレングスコーチとしてメジャーに上がりたいと思っていたので、通訳兼ストレングス・アシスタントなら引き受けたいと交渉したのですが、うまくいかず、自分の夢をつかむため、年収数万ドルの正社員より年収数千ドルのインターンを選ぶことにしました。
そんな訳で、2年目も同じコロラドスプリングスで過ごすことになりました。 1年目とは違い、去年できなかったことに挑戦させてもらうことも出来ました。
フルタイム(正社員)としての仕事を勝ち取った3年目
そして、2年目のシーズンが終わった後は、今までのように履歴書を他の球団に送ることはしませんでした。2年間自分の出来る限りのことを球団にしたので、ロッキーズからまた翌年もオファーをもらえるという確信があったからです。また、ビザを必要としていたので、気心の知れている球団のほうが交渉はしやすいと思っていたのも1つの理由です。
予想通り、翌年もロッキーズでお世話になることになりました。肩書きは、通訳兼ストレングスコーチ。その年、たまたまロッキーズが日本人選手を獲得したので、通訳という形であれば正社員にでき、ビザのサポートも出来るとのことでした。仕事内容はインターン時代とほぼ変わらず、ただ日本人選手の配属となったシングルA(4軍)に自分も配属となりました。
2軍から4軍に落ちてしまいましたが、正社員として仕事をもらうことができ、自分としても大満足でした。3年目となるその年の終了後には、2年前に面接をしてもらったシカゴ・カブスから連絡をもらい、マイナーリーグ・コーディネーターの仕事を任せてもらうことが出来ました。このように、3年間頑張ってきたことが、認められて、1つ階段を登ることが出来たと思います。どんな経験でも、無駄なことはありません。何事も自分のためになると信じて、精一杯努力することで、夢に近づくチャンスを掴めるのだと思います。
次回は、インターンとして雇われる側からインターンを雇う側になってからの経験を話したいと思います。


